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京都に奈良 | 高野山1 | 高野山2 | 熊野へ1 | 熊野へ2 | 熊野へ3
さて
初めての高野山、
ということでアクセスは奈良からがスムーズかと考えていたが、
結局は大阪、つまり難波経由で近鉄から南海線に乗り継ぐことになる。
しかし急ぐ旅でもないので、途中から天空という特別列車に乗りかえた。
席はすでに予約していたが、天空のチケットは
南海線の橋本駅の引換所でということであった。
天空は
古風で、深い緑色に赤いラインが印象的な車両である。
「物質・モノ世界から、自然・精神世界へと向かうための、こころの準備、感受性の取戻しを誘う設計」という、長いコンセプトで作られた車体は、青々とした空によくなじみ、窓いっぱいにあふれる幾重もの山々に
寄り添うようにトコトコ走らせた。
ここでの時間と空間は、
確かに都会の喧噪を過去に置き去りにしてくれる。
もう少し距離があってもいいな、と感じさせるそんな車窓。
ただ、 いくつものトンネルをくぐりだすと
あっと言う間に極楽橋駅に到着し
ケーブルカーに乗り換えることになる。
昭和5年にはすでに開通していたこのケーブルカーは
高低差330mをものともせず驀進し
景色に浸る間もなく雪降る高野山駅に到着。
下界からあがった山上は
身が引き締まるような空気に包まれていた。
・・・
さて、高野山という山があるわけではない。
山と山に囲まれた、まさに高地に拡がる壇上の平野が
高野山である。
とはいえ、
その町並みは、ここがとても険しい山間にあるとは思えぬほど
穏やかさが広がっていた。
そんな、意外に平坦な風景を
タクシーの車窓からぼんやり眺めていると
すぐに一の橋に到着。
一の橋は
奥の院への参道入り口にある。
ここからは2kmほど歩くことになるが、この参道には杉が天高く立ち並び、 様々な歴史上の人物の墓標が延々と続いた。地図でみると車道沿いであるにもかかわらず、鬱蒼とした木々により空気も大きく変わっていた。ただ、歩いているうちに、その墓標の圧倒的な数に少し感覚が麻痺してきて、ふと、
今回の旅行は信仰か観光か
と何気なくタクシーの方に聞かれたことに心が響く。
ただ、そんな泡のように浮かんだ心の揺れも
大勢の参拝者で賑わう別の参道の合流とともにかき消され
目の前にはすでに御廟橋がせまってきた。
さあ、この橋の先が神域だった。
その張りつめた空気、身を引き締める空間。
正面には燈籠堂。
燈籠堂の暗い内部は、
目が慣れるとたくさんの灯篭が天井から下がっていたが、
そのひとつひとつがゆっくりと、浮かび上がってくる。
これらの灯籠のそれぞれに、
きっと多くの人の祈りがこもっているのだろう。
だから、ひとつでは仄かでも、集まって大きな明かりとなり、
この奥の御廟におられる弘法大師とともに
この天上の宗教都市を照らし続けているのだと思う。
奥の院は高野山の支えだったのだ。
・・・
さて
まだ時間もあったので、さらに壇上伽藍に向った。
壇上伽藍とは
高野山の中心に置かれた様々な建物の集合した場だが
その中心に根本大塔がある。
ただ写真ではとても測れないほど圧倒的な存在感のある建物で、
その内部に足を踏み入れてみると、頭上には繭に包まれたような、
普通の日本家屋ではめずらしい
プラレタリウムのような半球体の空間が広がっていた。
そしてその天上から降りる心柱の下には大日如来がお座りになり、それを取り囲むように四天と四柱が配置され、さらにこのドームを支える16本の柱があって、
その周りを歩くことができた。
これはまさに宇宙空間を想起させる
立体曼陀羅であった。
この肌を通して観じさせる曼荼羅模様に目が眩みだし
おもわず根本大塔を出て、神社をお参りすると
日が落ちてきた。
そこで、お正月のため
無料となっていた金剛峯寺内を内覧し
お寺から5分ほどにある
本日泊まることにしていた無量光院に入ったのであった。
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