手当てと手入れ

「痛い痛いの、飛んでいけ。」
子供の頃 になぐさめられた、母のことば。

これが治療の原点、
まず手を当てることでした。

傍に寄り添い、手で触れてみる。

手当てとは、相手のつらいところに気持ちを向けるということ。

 

 

 

まず、触れてみる。


相手の身になって触れたところが相手のつらいところと一致したとき、
そこに、受手と相手の感覚が、お互いの共通の認識となり、共感が生まれる。

 

さらに手で摩ってみる。押してみる。

・・・・手を入れてみる。


この手で感じ手入れを行うという繰り返しの中で、それらがやがて、
治療として確立されていったのでした。


 


感じること、行うこと

この感覚からの行為とは、感覚即行為であり、 手を当てたとき、全体的な感覚が受手に引き受けられ、 そのままそれに応じる行為としての手入れとなりました。

その感覚されるものは、「ながれ」の乱れであり、「かたち」の歪み。
まず、それを受け止めることこそ、鍼灸の治療。

手を当てて、これをいかに感じ、そこにどのように手を入れるか。

すべてはそれにかかっています。

 

感ずるとそれに応じて手は動き、
手が動かされれば、また感じる。

張っていれば摩る、冷たければ温める、硬ければ和らげる。
鍼をする。灸をすえる。

治療は、手当てと手入れの積み重ねであり、
東洋医学の治療とはそういうもの、と私は考えています。

 

 

 

治療の原点を忘れることなく、

感じる手と、それに応じて動く手。
手当と手入れ。


この手をいつまでも磨き、これを大切に治療をしていきたいと思います。