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|| 五月 ||

那須と白河 | 山形へ | 平泉に | 日光

 

平泉からの帰りは
飯坂に寄りました。

 


ここは被災地であっても

決して客足が絶えず
それでも
日々の努力を欠かさずに

 

笑顔をつくす

 

御宿です。

とてもゆっくり
過ごさせていただきました。

 

そして医王寺や大内宿へ。


それは
平安が鎌倉に向かう時代


ある忠臣の悲劇に

 

よりそうように

芭蕉さんの足跡が
医王寺の周りにもありました。

 

ところで

さすがに芭蕉さんは寄っては
おられないようですが

長い車の旅を

 


大内宿でちょと一休み。

 

と、何気なく寄った
都から遠く離れたこの地でしたが

平安末期からの
たとえ天皇家といえども
時代の渦に翻弄された

 

以仁王の御魂を
お鎮めするためにか

 

多くの人たちが訪れる

 

この地の脇には

 

ひっそりと

 

そのお社が祀られていて

今でも
お祭りを受け継いでおりました。

 

・・・・・

 

さて、
車はさらに東京へ。

 

とはいえ

芭蕉さんの道を考えれば
ここで、ここに寄らねばなりません。

 

ということで、
最終日は日光に。

 

ここは
江戸の真北にある

だけでなく

富士山と平泉を
はるかに結ぶ線上にある

 

まさに東日本の
鬼門封じの町でした。

それは

 

陰陽道を駆使した江戸づくり

つまり

 

天海さんの働きがあったから

 

 

のみではなく

平安の仏教が全国に公布されるころ

京都の鬼門を守る比叡山から
その天台の力を輝かせた

 

円仁さんが
この土地と東北とを結びつけたのでしょう。

 

それとも
魔多羅神のお導きでしょうか。

 

・・・

 

さて、全く話は変わりますが

 

その円仁さん由来の

こちらのお寺さんは神社仏閣から
どうやら会社組織となった模様。

 

ですから
大改修中のため

 

正面に
写真ですとまるで本物のような
絵が大きく掲げられてましたが

それでも

しっかり入場料をとるのは
その維持のためやむを得ないとしても

 

僧侶とは

とても思えない若者たちが
館内案内も手慣れた様子で
様々なお札を功徳ありげに

大量に

売りさばいていたのには、苦笑い。

 

ということは

会社ともなれば自分の生活が第一。

となれば、この町も東照宮頼みでは

 

困る時がくる
かもしれませんが

地元の人たちにそのお話を伺うと

 

ここに頼らない町づくりを目指しても
なかなか果たせず、

 


その他の伝統工芸も今の代で
廃れるのを待つのみとのこと。

 

文化は人々の間の
日々に育まれる
と思いますし

 

東日本の鬼門を守る
青葉若葉の日光の

 

文化の火を絶やす事なく
なんとか

次の世代に繋げていただきたい。

 

ただ、
そういった中で戴いた

天然氷のかき氷は

 

やっぱりおいしかった... 。


 

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