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|| 五月 ||

那須と白河 | 山形へ | 平泉に | 日光

 

いよいよ3日目、平泉は高館から。

 

ここの景観は

 

永い時の中で
北上川の流れにより
様変わりをしてきたとのことですが

 

それでも

兵(強者?)どもが夢のあと
と言わしめたこの空間を望みますと


その風は

今でもからだを

すーっと
包みこみ共鳴します。

 

 

そんな陸奥(みちのく)の

 

中心となっていた平泉の地で

極楽の完成を目指した
毛越寺を訪れますと


建物は

ほとんど失われていますが

 

円仁さんの
東北に播いた念仏の種が

 

藤原家の思いを

 



豊かな水として

 

西方浄土の
花を咲かせていたと

 

想像させられました。

 

きっと

 

常行三昧や
天台の 声明も
鳴り響いていたことでしょう。

 

今は
その形がなくとも

金鶏山を中心とする
四神相応をめざした

当時の英知をつくした町の形に

深い
思いが偲ばれます。

 

・・・

 

しかしつくづく残念でしたのは

 

中尊寺金色堂。

 

それは

コンクリートで
固めらた覆堂の中にあり

風も音も香りも
完全に遮られ

しかも

録音テープのエンドレスな響きで

自然のなかの

本来の覆堂なら感じたと思われるような
梅雨時には五月雨も降り残す
金色堂の息づかいを

全く、全く

 

感じることが
できませんでした。

 

まあ、あまりよくわからずに
一番奥の駐車場に止めましたので
道をショートカットしたためでしょうか

 

普通でしたら
月見坂をのぼり

 

束稲山や北上川が望める
この場所や



白山神社や能舞台までの

 

道のりを通して

きっと

 

御山としての

中尊寺を
十分に味えたのでしょうが

 


ただ

なにか様々な催しが溢れてる
テーマパークのなか
にいるような感覚も手伝って

 


落ち着いた
深い祈りに

 

浸ることが
できませんでした。

 

今の中尊寺を
芭蕉さんや西行さんが歩かれたら

 

どのようにこの不易流行を
ご覧になったのでしょうか。

 

金色堂の祈りは

もう
土門さんの写真の内に
探すしかないのかもしれません。

 

因に、
キーンさんを
感動させた金色堂は
改修前のものだそうです... 。


 

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